検査で「異常なし」と言われたあなたへ。過敏性腸症候群(IBS)の辛さに、漢方ができること
2025年11月30日

「異常なし」でもお腹は痛い。西洋医学で見るIBSの正体
「病院で内視鏡検査を受けても、きれいな腸だと言われる。でも、痛みは嘘じゃない」
これが、過敏性腸症候群(IBS:Irritable Bowel Syndrome) の方を最も苦しめる点かもしれません。 炎症や潰瘍といった目に見える異常がないのに、腹痛や便通異常が続く機能性の病気です。
原因は、脳と腸の密接な関係(脳腸相関)にあるとされています。あなたの性格が弱いからでも、気にしすぎなわけでもありません。脳が感じたストレスやプレッシャーを、腸が敏感に受け取ってしまい、SOS信号として「痛み」や「不調」を出してしまっている状態なのです。
なぜストレスでお腹が痛くなるの?「脳腸相関」と「幸せホルモン」の秘密
「脳腸相関(のうちょうそうかん)」という言葉を聞いたことがありますか? これは、脳と腸が自律神経やホルモンを介して、まるで「直通のホットライン」で繋がっているかのように、常に情報を交換し合っている関係のことを指します。
生物の進化を辿ると、実は脳よりも腸の方が先に誕生しました。そのため、腸は「第2の脳」と呼ばれるほど独自の神経ネットワークを持っており、脳からの指令がなくても動くことができる賢い臓器です。 IBSの症状には、この2つの臓器の「会話」のトラブルが深く関わっています。
1.「幸せホルモン」セロトニンの意外な正体
精神を安定させる「幸せホルモン」として有名なセロトニン。実は、その約90%は脳ではなく「腸」に存在しています。 腸内でのセロトニンの主な役割は、腸の蠕動(ぜんどう)運動を指令したり、腸の感覚を脳に伝えたりすることです。
脳がストレスを感じると、その情報は瞬時に腸へ伝わります。すると腸内のセロトニンの分泌量や受け取り方に異常が発生します。
- 分泌過多になると:腸が激しく動きすぎて「下痢」になります。
- 動きが滞ると:腸が痙攣して便を送り出せなくなり「便秘」や「激しい腹痛」になります。
2.知覚過敏の悪循環(ネガティブ・スパイラル)
IBSの最大の特徴は、「腸が脳に送る情報」も過敏になっている点です。 健康な人なら気にならない程度のガスや便の動きを、IBSの腸は「痛み」「不快感」として強烈に脳へ伝えてしまいます。
1,脳:「会議だ、緊張する…」(ストレス)
2.腸: セロトニンが暴走して、お腹が痛くなる。
3.脳:「痛い!どうしよう、漏らしたら大変だ」(さらなる強いストレス)
4.腸: その信号を受け取り、さらに激しく痛む。
この「脳と腸のパニックのキャッチボール」が止まらなくなっているのが、IBSの正体です。 だからこそ、治療には「腸の動きを整えること」と同時に、「脳(心)の緊張を解くこと」の両方が不可欠なのです。
症状:いつ起こるかわからない不安
IBSの症状は人それぞれですが、共通しているのは「いつ起こるかわからない不安」と「コントロールできない辛さ」です。
・耐え難い腹痛と便意 通勤電車の中、会議中の静まり返った部屋、デートや旅行先。「今、お腹が痛くなったらどうしよう」という不安が、さらなる腹痛を呼び寄せます。冷や汗が出るような激しい痛みや、急な便意に襲われる恐怖は、行動範囲を狭めてしまいます。
・終わりのない下痢と便秘 緊張するとすぐに下してしまう「下痢型」、何日も出ずにコロコロ便に苦しむ「便秘型」、そしてそれらを繰り返す「混合型」。排便すると一時的に楽になりますが、またすぐに次の波が来るため、常にトイレの場所を探して生活することになります。
・お腹の張り(ガス)と音 痛みと同じくらい深刻なのが、ガスの悩みです。お腹がパンパンに張って苦しいのに、人前では出せない。我慢すればするほど、お腹の中で「グルグル」「キュルル」と大きな音が鳴り響いてしまう。「静かな場所が怖い」という精神的な負担は計り知れません。
この病気を漢方ではどう考えるか?
漢方医学には「心身一如(しんしんいちにょ)」という言葉があります。心と体はつながっており、切り離せないものだという考え方です。 IBSはまさに、心の葛藤が体に現れたサイン。漢方ではこれを「肝(かん)」と「脾(ひ)」の不調和と捉えます。
漢方でいう「肝」は、自律神経や感情のコントロールタワー。「~しなきゃいけない」「失敗できない」というプレッシャー(ストレス)を一人で抱え込み、オーバーヒートしている状態です。 そのとばっちりを受けるのが、胃腸を司る「脾」です。「肝」からの攻撃を受け、消化吸収のリズムが乱され、下痢や便秘といった形で悲鳴を上げているのです。
漢方治療の目的は、単に便を止めることではありません。「もう怯えなくていいよ」と高ぶった神経(肝)をなだめ、「大丈夫、動けるよ」と胃腸(脾)を励ますことで、心と体の仲直りを目指します。
西洋医学での所見を活かして病態を分析する(病因・病位・病性・病勢)
あなたのその症状、いつ、どんな時に強くなりますか?西洋医学的な診断に加え、あなたの「生活の背景」や「体質」を漢方の視点で紐解いていきます。
病因(ストレスの正体は?)
IBSの引き金はストレスですが、漢方ではその反応パターンを見ます。 イライラして気が張っている「怒」のエネルギーが強いのか、それとも不安でクヨクヨしてしまう「思・憂」が強いのか。 また、ストレスだけでなく、冷たい飲み物や甘いものの摂りすぎが、弱った胃腸に追い打ちをかける「湿邪(しつじゃ)」となっていないかを見極めます。
病位(どこで不調が起こっているのか?)
お腹が張って苦しい、ガスが溜まるのは、「気」が詰まっている証拠です。病位は「肝」にあり、エネルギーの交通渋滞が起きています。 急な下痢や水のような便は、「水」が溢れている証拠。病位は「脾」にあり、水をさばくダムの機能が決壊しています。
また、「朝方の腹痛」には2つの深い理由が考えられます。 一つは、生命力の根源である「腎」まで冷えが及んでいるケース。 そしてもう一つは、目が覚めた瞬間から「今日も会社か…」「学校行かなきゃ…」と無意識に身構えてしまう、出勤・登校前の「肝」の過緊張です。体が「行きたくない」と拒否反応を起こし、朝一番から気が張り詰めてしまっている状態です。
病性(あなたの体質の弱点)
IBSになりやすい方の背景には、実は2種類の「弱点(虚)」が隠れていることがよくあります。 車に例えると、「オイル切れ」か「パワー不足」かの違いです。
肝血虚(かんけっきょ)タイプ:オイル切れ 栄養(血)が不足し、腸の筋肉が潤いを失ってカサカサ・ギシギシしている状態です。 目が疲れやすい、足がつる、爪が割れやすいといった特徴があります。腸が乾燥して痙攣しやすいため、コロコロした便秘や、しぶり腹(残便感のある腹痛)になりやすいタイプです。
脾気虚(ひききょ)タイプ:エンジンのパワー不足 こちらは胃腸(脾)そのものが弱く、食べ物からエネルギーを作り出す力が不足している状態です。 ストレスを受け止める「お腹の土台」が弱いため、少しの緊張や負担ですぐに胃腸の機能がダウンし、下してしまいます。疲れやすい、食後に眠くなる、軟便が多いのが特徴です。
病勢(病気の勢いと、体の戦う力)
最後に、「今、症状がどのくらいの勢いなのか(病勢)」を見極めます。
実証(じつしょう):体が過剰に戦っている状態 痛みが激しく、お腹を押すと反発するような強い痛みがある。ガスが頻繁に出て、声にも力があるタイプです。 エネルギーが余って爆発している状態なので、漢方では「溜まっているものを出す(瀉法)」治療を行います。
虚証(きょしょう):体が疲弊して負けている状態 しくしくと痛み、お腹を温めたり手でさすったりすると少し楽になる。下痢の後ぐったりしてしまうタイプです。 エネルギーが不足しているので、無理に出すことよりも「補う(補法)」治療を優先します。
よく使用される漢方薬
漢方薬は、あなたの乱れたバランスを整える「やさしい調整役」です。生薬の働きを知ることで、なぜその薬が効くのかが見えてきます。
1、「緊張すると、お腹がキリキリ痛む」あなたへ 【桂枝加芍薬湯(けいしかしゃくやくとう)】
配合生薬: 桂皮(けいひ)、芍薬(しゃくやく)、甘草(かんぞう)、大棗(たいそう)、生姜(しょうきょう)
どう効くのか? IBS治療のファーストチョイスです。 主役は「芍薬」と「甘草」のコンビ。これらは「筋肉の急激な痙攣を緩める」作用があり、緊張でギュッと硬くなった腸を優しくほぐして、キリキリする痛みを止めます。さらに、「桂皮(シナモン)」がお腹を温めて血流を良くし、「生姜」と「大棗(なつめ)」が弱った胃腸の機能を底上げします。 「お腹が痛いのに、トイレに行ってもすっきり出ない(しぶり腹)」という不快感に最適です。
2、「コロコロ便で、お腹が痛くて出にくい」あなたへ 【桂枝加芍薬大黄湯(けいしかしゃくやくだいおうとう)】
配合生薬: 桂枝加芍薬湯 + 大黄(だいおう)
どう効くのか? IBSの便秘型(IBS-C)によく使われます。 一般的な下剤を飲むと「お腹が痛くなりすぎて怖い」という方がいらっしゃいますが、これは腸の痙攣(けいれん)を抑えながら便を出す処方です。 上記の「桂枝加芍薬湯」で腸の緊張を緩めつつ、少しだけ加えられた「大黄」が便を優しく押し出します。ウサギのようなコロコロ便や、出した後もまだ残っている感じがする時に適しています。
3、「お腹が冷えてパンパンに張り、ガスが苦しい」あなたへ 【大建中湯(だいけんちゅうとう)】
配合生薬: 乾姜(かんきょう)、山椒(さんしょう)、人参(にんじん)、膠飴(こうい)
どう効くのか? ガスの悩みにはまずこの処方。 蒸した生姜である「乾姜」と、ピリッとする「山椒」が、冷え切った腸を強力に温めます。 冷えが取れると腸の蠕動(ぜんどう)運動が正常になり、停滞していたガスがスムーズに排出されます。また、「膠飴(水飴)」が痙攣性の痛みを和らげ、「人参」が胃腸のエネルギーを補給します。 お腹の皮が薄く突っ張るような感覚や、グルグル音が鳴るタイプの方の救世主です。
4、「イライラ、張りつめた気持ちが爆発しそうな」あなたへ 【四逆散(しぎゃくさん)】
配合生薬: 柴胡(さいこ)、芍薬(しゃくやく)、枳実(きじつ)、甘草(かんぞう)
どう効くのか? 責任感が強く、弱音を吐けない頑張り屋さんに。 「柴胡」がイライラや精神的な圧迫感を解放し、「枳実」が胸やお腹につかえた「気」をグイッと下に流します。 さらに「芍薬・甘草」が腹痛を緩和。手足が冷たいのは、緊張で血管が収縮しているサイン(四肢厥冷)ですが、この薬は心と体の緊張を同時に解きほぐし、本来のリラックスした状態へ導きます。
5、「みぞおちが仕えて、お腹がゴロゴロ鳴って下す」あなたへ 【半夏瀉心湯(はんげしゃしんとう)】
配合生薬: 半夏(はんげ)、黄ごん(おうごん)、黄連(おうれん)、乾姜(かんきょう)、人参、大棗、甘草
どう効くのか? ストレスで胃腸の機能がちぐはぐになっているタイプに。 お腹の中で雷が鳴っているような「ゴロゴロ音(腹鳴)」や、みぞおちが詰まったような不快感が特徴です。 「黄連」と「黄芩」がストレスによる炎症や熱を冷まし、「乾姜」と「人参」がお腹を温めて立て直します。胃と腸の連携ミスを正し、軟便や下痢、吐き気などをスッキリと解消させます。
6、「生理前や更年期、心も体も不安定になる」あなたへ 【加味逍遙散(かみしょうようさん)】
配合生薬: 柴胡、芍薬、当帰(とうき)、白朮(ビャクジュツ)、茯苓(ぶくりょう)、牡丹皮(ぼたんぴ)、山梔子(さんしし)など
どう効くのか? 女性ホルモンの変動やストレスで、精神面とお腹の調子が連動してしまう方に。 「当帰」「芍薬」が不足しがちな「血」を補って栄養を行き渡らせ、「牡丹皮」「山梔子」がイライラして体にこもった余計な熱(のぼせ)を冷まします。 「私の性格のせい?」と自分を責めてしまう前に、まずは漢方で心の土台と血の巡りを整えましょう。
7、「冷えにより下痢が誘発される」あなたへ 【 人参湯(にんじんとう)】
人参湯の配合生薬: 人参、白朮(ビャクジュツ)、乾姜、甘草
どう効くのか? 漢方では「脾陽虚(ようきょ)」と呼ばれるタイプです。 もともと胃腸が弱く冷えやすく、食べ物からエネルギー(気)を十分に作り出せていない状態です。 体がエネルギー切れを起こしているため、ストレス(肝の攻撃)が来た時に跳ね返す体力がなく、すぐに胃腸がダウンして下してしまいます。 そのため、「人参」と「白朮」で胃腸の消化吸収力を高め、エネルギーを作り出すことが最優先。そこに「乾姜」でお腹を芯から温めることで、下痢を止め、ストレスに負けない身体の土台を作ります。
※大切なご注意(レッドフラッグ)
もし、以下の症状がある場合は、IBS以外の病気(炎症やポリープなど)が隠れている可能性があります。自己判断せず、必ず消化器内科で検査を受けてください。
- 血便が出る
- 急激に体重が減った
- 寝ている時もお腹が痛くて目が覚める
- 50歳以上で初めて症状が出た
最後に
お腹の痛み、下痢や便秘、そしてガスの悩み。これらは「恥ずかしいこと」ではなく、体が必死に出しているSOSです。 「一生このままかも」と諦める前に、一度ご相談ください。あなたのその冷えたお腹と心を、温める方法が必ずあります。
大阪の浪速区にあるミズホ薬店の店主。
お店にひきこもって漢方の勉強をしたり、漢方相談をしながら暮らしています。