舌から見る漢方治療の実際
中医学では舌の状態は、病気の状態を分析するのに大切な要素の1つです。
他にも色々な部分を観察したり聞いたりして治療に使う生薬を決めていくのですが、舌の場合でしたらウエブ上でも変化が観察できますので「舌から見る漢方治療の実際」と称しまして症例をあげたいと思います。
舌ひとつをとっても人の体質や病の状況や性質、心理状態、外的環境によって様々に変わります。
まずは舌をそれほど意識しない人の為に、どのような舌の状態(要素)があるのかという事を上げてみます。
『[新装版]中医学入門』 神戸中医学研究会著 引用
- ①舌の形態
- 胖大・痩薄・点刺・裂紋・光滑・鏡面
- ②舌苔の質
- 有根・無根・薄苔・厚苔・滑苔・乾苔・糙苔・類乾苔・裂紋苔・腐苔・膩苔・剥苔
- ③舌苔の色
- 白色・黄色・黒色
- ④舌の部位
- 舌尖部・舌辺部・舌中央部・舌根部・舌裏
- ⑤舌の血脈の状態
- 舌下絡脈・舌尖茸状乳頭・舌辺部茸状乳頭・舌中央部糸状乳頭・舌根部市場乳頭
- ⑥ 舌の運動
- 強硬・萎軟・顫動・短縮・弄舌
基本的な舌の分類を書きましたが、大きく分類すると「舌そのもの状態」と「舌苔の状態」と「舌の運動」の3つに分かれます。
上記の要素を組み合わせるだけでも、かなりの数のバリエーションになる事は想像できると思います。
よって舌の状態は様々な顔を見せる事になり、その方の病気がどのような仕組みで形成されているかを解明する手助けをしてくれるのです。
もちろん舌に何の異変もない(健康な舌)状態でありますが、舌に異変がなく不快な症状があるという事も重要なサインの1つです。
* ただし舌の状態だけで病気のメカニズムを判断することは決してなく、その方の全身の状態や、何よりも問診による対話が重要であります。
舌はあくまでも判断をする上での一つの材料ということだけは、お忘れないようにお願いします。
症例① めまい・胸のつかえ 50代 女性
7月中旬 めまい、胸のつかえがひどくなり来店されます。
この方は若い時は体が丈夫な方でありましたが、年をとるにつれて色々と不快な症状が出始めました。そしてささいな症状でも何日か続くと、ずっとその事が頭から離れなくなるという神経質な性格です。
《治療前⇒舌の画像》
舌の苔は中央部から奥にかけて厚くなっており、乾燥傾向は見られずネットリとまるでバターのようであります。
ネットリとした舌苔は膩苔(じたい)という状態で、舌苔の色はやや黄色味がかかっています。
舌苔の黄色は体内で熱性の炎症を示すことが多いのですが、熱性の炎症でなくても体内の余分な水分を排出する能力が弱くなったり、ストレスを受けて余剰な水分が停滞しても黄色になる事があります。
また食事での着色の可能性も考えられます。そこら辺は話を聞いて、はっきりとさせていきます。
- その結果、元来のむくみ体質と湿度と気温の上昇による外的要因の影響・神経質な性格による気の停滞がめまいや胸のつかえの症状の悪化に拍車をかけている状態と判断いたしました。
よって肺脾の動きを高めながら、体内の余分な水分を排出とリラックスさせる働きのある半夏厚朴湯を、費用をおさえるために1日2回の服用で様子を見ました。
2週間で症状は改善して厚い苔も減少しましたが、調子が良いので1ヶ月間継続して漢方薬を飲んでもらいました。
《治療後⇒舌の画像》
一目瞭然で舌苔が減少しているのが確認できると思います。
肺脾の動きを良くなり、体内の気の流通が高まったことにより、不要な湿邪が除かれた様子がうかがえます。
症例②止まらない咳 70代 男性
この方は6月頃にかぜをひいてしまい、発熱などの症状はおさまったが夜間に何度も発作的に咳が起こり、十分な睡眠がとれていません。
病院に行って抗生物質や気管支拡張剤、去痰薬などを処方され1ヶ月ほど内服するも一向に治まる気配はなく、この方の奥様が旦那様の咳により起こされ、その度に背中をさすってあげなければならないので睡眠不足になり、ご主人をつれて訪れました。
体格はガッチリとして漢方的にいうと実証タイプというやつで、食欲もあり、胃腸は丈夫で便秘傾向もあります。
咳の音は乾燥咳ではあるが、やや痰が絡むような音も聞こえます。
咳は特に夜間に酷くなり、非常に痰が排出しにくく喉にひっかかる、咳をする時は胸にひびくように軽く痛む、口の乾きはそれほど酷くはない、不整脈などの症状があります。
《舌の画像⇒治療前》
明らかに黄色に着色した舌苔が、まばらに付着していますが、舌苔は乾燥傾向でなくジットリとした膩苔(じたい)状態で、舌色は紅色で全体的な充血がみられます。
- 夜間の咳の悪化、不眠、胸の痛み、黄膩苔、舌全体の充血が見られることから、かぜは治ったかのように見えましたが肺の炎症は残り、その長期化した炎症が体内の水分を濃縮することにより痰が形成されたと思われます。
- そのネットリと濃縮した痰が気管支にへばりつき、その痰は排出するためと、肺の炎症が血分(深めの位置)に及び夜間の咳を発生させていると判断しました。
- よって肺の炎症を抑えながら、濃縮された痰を稀釈する事により排出しやすくさせて、血分の炎症を冷ます事ができる漢方薬があれば良いです。
このような作用を実現するために、辛夷清肺湯と強結胸散の2つの漢方薬を1週間飲んでもらいました。
2、3日ごろから効果を出始めて夜間に発作が起こる回数が減少し、1週間たつころにはだいぶよくなり奥様も夜間に起こされなくなりました。
念のため、もう1週間分を内服してもらいました。
《舌の画像⇒治療後》
ネットリした黄色い痰が明らかに減少している事がわかります。
症例③止まらない下痢 50代男性
この方は10月初旬にビールや脂っこい食事を大量に摂取する機会あり、その後に水様便になり、1日に10回近くの下痢が続き3日間止まっていません。
《舌の画像⇒治療前》
黄色いべったりした舌苔が、全体にまんべんなく付着しています。
- 黄色に着色していること、一度に大便がスッキリ出ずに、排便した後にすぐに行きたくなります。
- 口の渇きがあり、食欲はある。みぞおちあたりに軽く違和感があり、おさえるとゲップがでます。
それらを目安に原因は湿熱による下痢と判断して半夏瀉心湯+加味平胃散+猪苓湯を飲んでもらいました。
1日飲んでも効き目がないので、この方の自己判断によりウイルス性の腸炎もしくは食中毒を疑い、漢方治療を中止して病院に行かれました。
しかし病院で処方された薬を飲んでも、下痢が3日間止まらないし食欲も減退してきたので、再び漢方治療を希望してこられました。
- 黄苔は中医学の教科書的には熱症状を示すといわれていますが、この方の体質は胃腸が冷えやすい体質です。
- よって黄苔の存在は無視して、脾腎の陽気を補い、腸管内の水分の吸収をよくして腎・膀胱から排出する事にしました。
漢方薬は附子理中湯+五苓散を内服してもらうと、今度はよく効きわずか1回の服用で下痢が止まりました。
この方は体質的に肺陰虚体質(肺から喉、鼻の粘膜が乾燥しやすい)ですので、辛温剤(皮膚や粘膜などを温めて乾燥させる生薬)の多用は、この方の持病である喘息発作を引き起こす可能性がありますので、特に肺から咽喉〜鼻腔の粘膜を滋潤するためと脾胃の気を養う人参の量を増量する目的で、五苓散を麦門冬に変更して、念の為に5日間服用してもらうと大便、食欲ともに通常状態に戻りました。
その時の舌の状態が下の写真の状態になります。
《舌の画像⇒治療後》
全体にまんべんなく付着していた黄色い苔が、ほとんど消失している事が確認されます。
消化管内に停滞していた、不要な湿邪が除去された証拠であります。
症例④膠原病・シェーングレーン症候群 60台女性
これは私の母の話です。
私が漢方の勉強をはじめる前に、母は膠原病&シェーングレン症候群であると診断されました。
漢方の勉強をはじめて、少し理解が深まったところで漢方薬を飲んでもらおうと思いました。
- 確か初めは、疲れやすいのと口の渇きがありました。
それを目標に麦門冬を使用した記憶が残っています。
その時の舌の状態が以下のようになっています。
病歴が長いので舌中央部から舌根部にかけて、深い裂紋が中央に走り、舌色も絳紅で舌苔もほぼ皆無です。舌だけを見ると明らかな陰虚状態を示しています。この時は脈診のスキルがないので脈診はしていません。
- 症候⇒口、目の乾燥、寒さをほぼ感じない、不眠、便秘、膝と腰の慢性的なだるさと痛み、疲れやすい、夜間の乾燥した咳、たびたび皮膚に蕁麻疹みたいなものが出る。
当然、当時の私の貧弱な知識から処方した麦門冬湯では、びくともしません。
その後、中医学を勉強し始めて腎陰虚なるものを知り、少しは弁証論治ができるようになってきました。未熟ながら必死に勉強しながら、処方を考えて治療していた時の舌の写真です。
撮影している場所が違うので、舌色の比較はできませんが、赤みはマシになっているなと思っていた記憶があります。
この時には脈診を勉強し始めており、母の脈は細数だったので、腎陰虚が呈するといわれている脈象で「教科書通りであるな」と思った記憶が残っています。
漢方薬を信用していない母は、やや疑いの目を持ちつつも、息子に変な草木の類を1日3回もの服用を強要されることになります(苦笑)。
働きに出ていた母は、昼間の服用を忘れる事が多かったので、何度か確認して、飲み忘れが発覚するたびに、きちんと飲むようにお願いをしていました。
その後、私の中医学の知識と臨床能力が上がるにつれて漢方薬の処方を修正していきました。
- 中医学でいう温病学の弁証法である、衛気営血弁証法での血分に少し熱があるのは明らかです。
- そして病が長期に渡っているので、腎陰が虚している事は舌の中央部から舌根部にかけての裂紋が物語っています。
この場合は血熱を冷ます生薬と腎陰や肺、胃陰を補う生薬のバランスが重要でありますので、建林松鶴堂の止血をベースに清肺治喘丸を半量に、血熱を浮かして抜くために銀翹散製剤を少量加えました。
便秘や胃もたれが出た時は麻子仁丸を少量併用してもらい、上記の方剤の組み合わせで、内服をきっちり3回継続してもらいながら、舌と脈の状態をこまめ確認していると、明らかに脈の速さが減少して、弱々しかった脈に少し強さが戻ってきました。
私「最近、体調良いんちゃう?」
母「そういえば、最近調子良いわ。あのしんどいのは何やったんやろ?」
まるでたまたま体調が悪くなって、自然に治ったような言い草である。
いやいや漢方薬がしっかりと効いているのですよ。
その時の舌の画像です。
深い裂紋の回復はまだまだかかりそうですが、舌苔の回復が顕著に見られます。
明らかに体内の津液が回復している事がわかります。体調の方も以前に比べて良いのは当然です。
症例⑤アトピー性皮膚炎 50代女性
痒み、赤み、熱感を伴う皮膚症状は、特に体の上部である額や頬、首、鎖骨、腕に集中しており、患部を冷房の冷風に直接あてることが、気持ちよく感じるぐらいの熱証を示していました。
体の上部はひどい皮膚状態ではあるが、それとは逆に腰から足の甲にかけては上部に比べ明らかにきれいな皮膚状態を保っており、陽邪である火は上昇しやすいという教科書通りの現象になっていました。
私の考察では、湿熱邪は単体で考えるのではなく湿熱邪、湿邪、熱邪が人間の体内に存在し、外的環境や内的環境により湿熱邪、湿邪、熱邪の3つの様々な比率が変化しながら無数に存在するのではないかと考えております。
分子レベルで考えると、数量は天文学的な数字になるので、組み合わせを想像するとゾッとします。
しかし中医学ではそこまで細かい事までは気にせずとも、患者の生じている症状の原因をイメージできれば処方できます。なぜなら人体はバランスの崩れを常に正常に保とうとしているので、体質と外的要因を考慮した上で、ある程度その方にフィットした生薬の配合を与えると、症状が改善の方向に進んでいきます。
このあたりが漢方療法が自然治癒力を上げると言われてる理由です。(それが労力のかかる作業でありますが…)
まずは治療前の舌の状態です。
《舌の画像⇒治療前》
舌質は紅で多くの裂紋があり、舌苔は黄膩で多く存在しており、舌全体にやや湿邪の存在がうかがえる張り感がありますので、明らかに湿熱邪が体内に存在している事を示しています。
そして中央部に存在する細かい裂紋は、長期間その方の体内に熱邪が存在して体内の陰である津液や血を傷つけられている事を証明しています。
この方のアトピー性皮膚炎が悪化した期間が20年を超えるものなので、かなりの久病(病の期間が長期間にわたっている事)といえるでしょう。
よって肝血や肝陰だけでなく、腎陰が傷つけられて、腎陰が肝陰を補うことができずに、肝の陽気を上昇するのを抑える事ができずに三焦内の湿熱邪が体の上部にあふれてしまっています。
肝胆湿熱と肝陽上亢が絡み合った状態を呈している事が、患者の訴える症状と皮膚症状・舌の状態から考えて推測できます。
そして治療前の皮膚症状が以下になります。
《皮膚の画像⇒治療前》
このように全体的にまんべんなく赤みをおびている事から、三焦水道に湿熱邪が充満して、血分に熱が迫っている事がわかります。
- 患者に生じている皮膚症状が酷いのと、痒みによる不快感を示しているので、少し方剤数は多くなりますが、中医学の基本である急則治標(急なればその標を治す)を行うために
黄連解毒湯+猪苓湯+大黄牡丹皮湯+地竜を処方しました。
黄連解毒湯+猪苓湯+地竜で三焦水道に充満した湿熱の除去を図ります。
患者は便秘症もあるのと、清熱剤の弊害を防ぐのと、血分に波及している熱邪を除去するために活血剤に大黄牡丹皮湯を選薬し、肝陽上亢を抑えるため(上部に上がった熱をひかせるため)に、平肝熄風薬である地竜を追加しました。
これらの処方を組み合わせることにより、三焦水道に充満した湿熱を山梔子、沢瀉、猪苓、茯苓、滑石、地竜は尿道から、大黄、芒硝で肛門から一気に除去することをねらいます。
そしてこの処方を飲んで1ヶ月後の皮膚の状態です。
《皮膚の画像⇒治療後》
明らかにに皮膚症状は改善され、皮膚の痒みも軽減されました。
その時の舌の状態です。
《舌の画像⇒治療後》
まだ黄苔の存在は認められるものの、舌の中央部の黄色苔が減少した事が確認できます。
ここからは皮膚の乾燥の軽減のために、少し滋陰の方向へスイッチを向けていきたいのですが、季節は夏の盛りですので、いきなり清熱剤を抜くと、一気に熱邪が戻り皮膚が以前の状態に戻る可能性があるという事を意識しながら慎重に処方を組み立てます。
- ①皮膚症状から三焦水道の湿熱邪はかなり軽減された事
- ②清熱剤過多による脾胃の損傷
- ③一気に陰を養う生薬を増やすと、その膩の性質のため湿熱を助長する恐れがある。
以上の三点から
黄連解毒湯を三物黄芩湯に変更して
三物黄芩湯+猪苓湯+大黄牡丹皮湯+地竜を処方しました。
その後、皮膚の状態も安定し痒みもあまり気にならない状態を保てています。