異病同治について考察
2016年08月20日
異病同治⇒現在の私の認識では違う病機も同じ治法で治す。複数の証候も根本の原因(本)を的確に見抜き、一つの治法で治す。。当然、使う生薬数を削減できる事が多く財布にも資源にも優しい事になる。
しかし、この病機の根本の原因を見抜く事が至難の技で術者の経験と知識とインスピレーションが求められる。。
例えば、慢性的な皮膚疾患があるとする。弁証した結果、その皮膚疾患の原因が湿熱が起こしていると解る。その湿熱に対する、治法を飲んでもらい。皮膚疾患は少し良くなるとする。
しかし、その治療の仕方でかなり表面的な治療なのです。
その湿熱がなぜ起こっているのか?一つ先に進み、その湿熱が脾胃系統の虚から起こっている事がわかり、湿熱の治法に脾胃系統の虚を補う治法を飲んでもらうとする。
皮膚疾患は前より良くなる。
それでも、その治療はまだまだ表面的な治療なのです。。。
この時点で方剤は追加され、生薬数増と費用増になっている。
そして、もう一つ先に進み、その脾胃系統の虚はどこから起こっているか?を考える。
その脾胃系統の虚は腎系統の陽虚から起こっている事が解る。そして腎陽虚の治法を飲んでもらいさらに前より皮膚疾患は良くなる。
湿熱の方剤数を減薬しても、この時点では結構な生薬数と費用になっている。。。
そして術者は考える、腎陽虚は何故起こっているのかを?その腎陽虚は長期的な営衛不和による、風寒湿邪が腠理⇒三焦⇒腎に侵入して起こっている事が解り、営衛調和させる方剤を追加する。。。
このような感じに術者が、逆に治療に用いる陰陽五行によってグルグル振り回されている状況になり、異病同治の道からは遠ざかって行き、たどりつくのは絶対的に同病異治の道になってしまう。。。
私はまだまだ未熟者なので、このような事が多いですが、知識と経験が豊富な方でもこのような現象になっているような感じがする。。。
最近、よく考えるのが、生石膏が大好きな張錫純先生と附子が大好きな鄭寿全先生なのです。
この二人に共通するのが、かなり重篤な患者も少ない生薬数で治してしまうという事だ。
そしてこの二人に共通するのが『傷寒論』『金匱要略』『黄帝内経』に対しての深い認識能力である。
特に、『傷寒論』と『金匱要略』の著者?である張仲景先生への治療法への認識には大変深い事が見える。
結局は異病同治の道を進むには張仲景先生の道を進むという事になるのではないのか?と朝に考察するのであった。。。。。
大阪の浪速区にあるミズホ薬店の店主。
お店にひきこもって漢方の勉強をしたり、漢方相談をしながら暮らしています。