漢方家の死について
2017年05月17日
最近、近畿で有名な漢方家が亡くなった。。。多分。。。。
(正確な情報は得たわけではないが・・・)
昨日、調べ物をしている時に神戸中医学会の伊藤良先生が亡くなった事についての記事が出てきた。(これは以前に読んだ物であるが・・・)
http://www.chuui.co.jp/chuui_plus/002579.php
(この記事の中の、『対して良くなってもないのに10年以上も根気よく通って来れれた患者さん』と伊藤先生が述べられているが、このような発言ができる伊藤先生の懐の大きさが感じられ、その裏にはこの方は日本の中医学の導入に際して、どれだけ尽力して、その懐の大きさで色々と癖のある方も受け止めて、優秀な後輩を育成したかという事を考えるだけで泣きそうである。写真の伊藤先生の口元が加藤茶に似ているのが気になりますが。。。。申し訳ありません、無礼な事を書いて・・・でも、ほんまにリスペクトしてますよ!!)
少し話がそれましたが、本題に入ります。
こういう事が重なると、いつも考える事がある。
生涯を漢方医学や中医学を費やした者が、自分の死に繋がる病になった時はどのような状況であろうか?
寿命であると諦めるのか?
最後まで、自分の医術を駆使して戦いながら死んでいくのか?
前者の方が、心は穏やかであろう。
後者の方は自分が今まで学んで来たことが、通用せずに病が進んでいき、弁証する気力を失い、最後には死ぬ。
そのような事を考えるぞっとする。。。
もっと最悪なのは、自分が色々な事を学んで来て、築き上げた理論体系の重大な欠陥を死ぬ前に気付く。。
あ~こわ!。。
(最近、悪事を働いたガリガリガリクソンじゃないけど。。。)
しかし、今までそのような事は無数にあったであろう。
そして、少しは人を治療をできるようになって来た私も、その片鱗を少し臨床時に感じる事がある。
『もっと、こうした方がはよ治るんやけどなーーー?でもこっちが持てへん思う』
ある意味で瀉す時に、耐えられないところが出てくるです。。
そして人は死んでいくんやろなー?
これは漢方医学や中医学だけでもなく西洋医学の術者にも同様の事がいえる。
私は必ず、過去の賢人の書籍を見る時はその人が何歳まで生きたかを確認する。
若くに亡くなった方もいれば、その時代にしては少し長生きした方もいる。
しかし、いくら賢人であれど130歳〜150歳という数字は出てこない。。
初学者の私なりに確信している事は
漢方薬で寿命を全うさせる助けはできるが、寿命を延ばす事はできない。
寿命は生まれた時から、人それぞれに天によって定められているのであろう。
漢方薬でできる事は、自分の生を大事にせずに歪めてしまったものを補正する事である。
しかし、それだけでは寿命は全うできない。
(何事にも理が必要なのですよ。。この事については、自分がもっと成熟した時に記載しようと思う。)
人間が壊して、人間が治す。。。
なんとなく、儚い・・・・
今日は、少しシュールなブログを書いてしまった。。。
今日も、もうちょっとだけ勉強しよっ!!
大阪の浪速区にあるミズホ薬店の店主。
お店にひきこもって漢方の勉強をしたり、漢方相談をしながら暮らしています。