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漢方薬で不快な症状のない生活に 漢方薬で不快な症状のない生活に

日本漢方の書籍の面白みが分かってきた

2018年03月19日

昨年に、私が尊敬する凄腕漢方家の先生に「江戸〜昭和初期の書籍も読んだ方が良いよ」とアドバイスを受けてから、やっと数日前から読み始める事にした。

アドバイスを受けてからだいぶ時間が経ったのであるが、別にサボっていたわけではなくコツコツと毎日勉強しているのであるが漢方医学&中医学の勉強はやることが異常に多すぎて、一行にスピードUPしないのである。(2,3ヶ月の間は少し違う分野に興味を持ち脱線もしましたが・・・)

しかし、日本の漢方家の方々が残してくれた書籍には中医学家と違った意味あいで、臨床に役立つ切り口で記載してくれている。

 例えば『蕉窓方意解』に東郭爺は黄連解毒湯の方意に対して
「解毒湯の的症は日数経ること久しく・・・・余熱などと云うくらい熱にて・・・・底力強くしぶとき熱候を標的とすべし・・・・・肌膚枯燥してガサガサとしたる手当りモノを標的とすべし・・・・・・然れども此の症実火の症にして虚火の症に非ず。その脈沈細あるいは軟弱なれども底力があるなり」

このように黄連解毒湯の方意のニュアンスを理屈臭くなく、すごく直感的で感覚的に書き残してくれている。 
(まるで中医学がパソコンのようにシステマチックなら、日本漢方はタブレットみたいな直感的な感覚・・・・違うか?苦笑)

まだまだ浅学であるが、私なりの中医学の黄連解毒湯のイメージは、もっと強力で大きな火を消化するイメージの方剤であったので、この余熱のイメージは全く持ち合わせていませんでした。

当然、中国が強国であった時代なので生薬を輸入している日本にとっては、今以上に貴重なモノである。よって使用する生薬量も中国に比べて少なくなるので、同じ方剤でも違う方意になってくる可能性も充分に考えられる。(現代日本も再び、このような状態に戻りつつあります・・・)
ここにも、過去の日本での方剤の治験例を勉強する意味が重要になってくると考える・・・・・

話を戻し・・・
この「余熱であるが、実火であり底力がありしぶときモノである。」という感覚が絶妙ですね❗
読み手に臨床経験やある程度の全体的基礎がないと、なんのこっちゃ?となるけど・・・
それが備わってくると「にゃるほどね~!」そのような捉え方もあるのかとすごく脳内に染み込んでいくのである。

東郭爺は、余熱の陰の損傷に対して独参湯や生脈散を兼用すべき事を示唆されておりますが、気や津液に対してではなく血の損傷が激しい場合は当然、四物湯を兼用する事になるので、そのような事から温清飲ベースを多用する一貫堂医学の誕生の日本的な誕生シナリオもあるのではないかと思う。
よって以前のブログに記載した劉完素老師が内疏黄連解湯によって治療しようとした火のイメージと、森道吐伯爺が柴胡疎肝湯・荊芥連翹湯・竜胆瀉肝湯によって治療しようとした火のイメージは全然違うものではないか?

と相変わらず店内で1人で屁理屈的妄想にふけるのであった。

そう、まるで独参湯のように・・・・違うか(苦笑)