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脾陰虚と胃陰虚について(7)

2016年05月31日

前回までのブログでは、麦門冬湯の話を少し広げて書きましたね。

どうやら、胃陰虚の原因の一つとして脾胃系統の虚があるみたいです。

また『金匱要略』の条文にあるように、麦門冬湯が効果を発揮する咳にも脾胃系統の虚から生じる津液不足が考察できます。

そろそろ脾陰虚の話に移りながら比較していきます。

日本で手軽にエキス剤として入手できる方剤に参苓白朮散があります。
この方剤は脾陰虚に対応できる方剤ですので、ここから考察していきます。

参苓白朮散《和剤局方》 
[組成]人参9g・白朮9g・茯苓9g・炙甘草9g・山薬9g・白扁豆6g・蓮子4.5g・薏苡仁4.5g・砂仁4.5g・桔梗4.5g

『中医臨床の方剤学』から参考記事を抜粋します
《医学法》
「脾胃虚弱、飲食を思わざるものは、この方これを主る。脾胃は、土なり。土は万物の母たり、諸臓腑百骸は脾胃より気気を受けて後よく強し。もしひとたび虧さば、すなわち衆体はみなもって気を受けるなく、脾に羸弱を見わす。故に雑証を治するは、脾胃を主とすべし。

然して脾胃は甘を喜みて苦を悪み、燥を喜みて湿を悪み、利を喜みて滞を悪む。この方や、人参・扁豆・甘草は、味の甘なるものなり、白朮・茯苓・山薬・蓮肉・薏苡仁は、甘いにして微燥のものなり、砂仁は辛香にして燥、もって開胃醒脾すべし、桔梗はは甘にして微苦、甘はすなわち性緩、故に諸薬の舟楫たり、苦はすなわち降を喜み、すなわちよく天気を地道に通ずるなり」

んんんー。この文面では脾胃を一つの有機体として記載しているので、いまいち脾と胃の違いが記載されていないので脾陰虚と胃陰虚の違いが認識できませんね。

次の文面いきます。
⇒「脾陰虚」に関する中医学の教科書の論述は十分とはいえないが、非常に重要であるので蛇足ながらやや詳細に述べる。

清代・唐容川が《血証論》で、「脾陽不足すれば、水穀はもとより化さず、脾陰不足するも、水穀はまた化さざるなり。たとえば釜中に水なくともまた熟さざるなり」と述べているように脾の運化は脾陽と脾陰が協調して遂行される。脾陽が不足すると、水穀の精微から脾陰が協調して遂行される。脾陽が不足すると、水穀の精微から脾陰を産生して補充できないために脾陰が不足し、脾陰が虚すると、脾陽を発現する資源が足りないので脾陽も不足して、脾の陰液と陽気を相互に不足を促進するという関係にある。とくに脾気虚で泥状便~水溶便が続くと、脾陰の消耗は甚だしくなる。

以上のように、脾陰虚は脾気虚と不可分の関係にあり、一般には「脾気陰両虚」としてみられる。

脾陰虚では、食欲不振・食べると腹が脹る・顔色が萎黄・るい痩・唇の乾燥・手指尖辺の角質化・口乾・手足のほてり・便秘・尿が濃い・舌質が紅・舌苔が少ないあるいは剥落あるいは地図状・脈は細で数などの、脾運低下と営陰不足のに症候がみられる。さらに程度の差はあれ気虚の症候をともなう。

脾陰虚と脾気虚のかね合いにより症状にも変化があり、脾陰虚が主体であれば燥証・熱証は明らかで舌質が紅・少苔・脈が細数などを呈し、脾気虚が主体であれば燥証・熱証は軽度で舌質は薄紅で胖・舌苔が剥や地図状、脈が細で無力などを呈する。

滋補陰の薬物は「甘平・甘淡」で滋補して膩でないものが必要であり、山薬が代表的である。このほか、薏苡仁・芡実・蓮肉・玉竹・黄精・白扁豆・沙参・炙甘草・糯米根・白勺なども膩補脾陰に働く。さらに補気健脾の人参・党参・黄耆・白朮などを適宜配合する必要がある。

やはり、脾陰虚の場合も脾気虚が津液を化生できないことによる津液不足が示されている。
脾陰虚も胃陰虚の病機の根源として、脾気虚が存在するのは確かなようだ。


私が考える問題はどう違うのかということだが、参苓白朮散の方剤構成として人参・白朮・茯苓・炙甘草がメインで四君子湯なので、以前のブログに記載したように麦門冬湯の方剤内の半夏・人参粳米甘草・大棗が四君子湯⇒水をさばく生薬を抜く⇒痰を乾燥させる半夏を加える(少し六君子湯の方意に近づく⇒胃気を養い口渇を抑える粳米を加える。という私の無理やりな方剤の理解の仕方と比べて見ると…
胃陰虚には白朮・茯苓は不要で脾陰虚はその逆の事がわかります。
(ほんまに無理やりでやけど・・・押し進みます)

ここに「胃は水穀の海」で「脾は万物が生じる湿土」という事が関連してくるのです思うのですが。


タプタプの海か適度な湿り気の土かの違いですね。

しかし、《血証論》の内容に「脾陽不足すれば、水穀はもとより化さず、脾陰不足するも、水穀はまた化さざるなり。たとえば釜中に水なくともまた熟さざるなり」記載されているが参考にはなるが、この表現では、脾臓の湿土感が伝わってこないです。

私は胃が摂取した食物を腐熟する把握しているが、脾が腐熟する感はなく、腐熟したもの貯めこむのと各臓器に送る感じで認識しているのだが、間違いなのか?それともこの条文内の示す脾も脾胃系統を示すのか?

今日はこの辺で…
続く…